誰の安心

 Kの支援学校の先輩にあたる人の親御さんから届いた年賀状にはこんなひと言が添えられていた。

 「息子がいないお正月でした」

 多分ご家族にとって初めての経験だったと思う。その息子さんは数年前に入所しているが、週末や連休には帰宅して家族で過ごしていた。ひとりっ子で祖父母も既に他界しており、ご両親は静かに新年を迎えたのだろう。現在入所施設はかなり厳しく出入りが制限されている。

 定期購読している育成会の機関紙「手をつなぐ」の最新号の特集は「入所施設の役割」だった。

 「終の棲家という幻想は捨てて、真に必要とされる機能を考えていきましょう」

 入所施設の機能について書かれた記事の〆の一言だ。入所施設もこれからは地域移行の通過施設として位置づけられていくという。地域で理解を深めて自由な生活。それを諦めてはいけないと。

 地域での自由な生活には個人の判断や裁量で行動する場面が多い。それができる、楽しめる人はいいけれど、その力がない人、自由な生活より規則や指示でしっかりパターン化された生活の方が穏やかでいられる人もいる。

 簡単に「地域へ」というけれど、いくつもの高いハードルを越えなければ実現できない生活だ。親も老いてくるから頑張りにも限界がある。
要するに、親としての私は自分が倒れた時に安心して闘病したい、心残りなく死にたいのだ。心配のあまり成仏できずにこの世をさまようなんてまっぴらだ。

 つまりぶっちゃけて言わせてもらえば親が求めているのは「終の棲家」だ。少なくとも私はそう。
 最重度で言葉もなく、慣れない相手との意思の疎通は難しい人。慣れる前に敬遠されてしまうから、地域でもかなり根気のある支援者が必要だ。しかも複数。親が既にいない、という状況で。
 本人も年を取り、または病気をして医療が必要になったらグループホームは退去となることが多いという。そんな時に、身寄りもなく自分を守る力もない人はどうなる。不安がありすぎる。

 本人の幸せより自分の安心か、と言われるだろう。しかしKの特性や今いる地域の福祉の現状を考えると、少なくとも私が元気なうちに「地域で自由に」という生活は無理だ。  

 このブログでずいぶん前に「自分達がいなければ、ひとりっ子である息子は死んでもお葬式もしてもらえないのだろう」と嘆いていたお母さんのことを書いた。その時に入所施設の職員をされている方から「身寄りのない利用者さんが亡くなった時は施設でできる限りの見送りをする、泣いている人もいる」という旨のコメントをいただいた。(該当記事を探すのが大変なのでリンクは貼れないです、すみません)
 涙がでましたよ。

 しかし、地域での自由な生活を求めているご本人やご家族もたくさんいる。その方達には本当に頑張ってほしいしできるお手伝いはしたい。
 それぞれに合った居場所を求めているだけです。

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