障害児Kとおたく母の疾走日記

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zoom RSS 気遣いいろいろ

<<   作成日時 : 2015/06/30 13:04   >>

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 足が不自由で、杖をつきながらゆっくりと前を歩く人がいる。後ろを普通に歩く私はそのまま行けばごく自然にその人を追い越すことになるのだが、これをどうも気まずく感じてしまう。

 ごく普通の歩道で障害物もない。その人も特に歩きながら痛いとか苦しいとかはないようだし、それが日常なのだろう。私もまたしかり。それなのに、障害ゆえに歩みが遅い人を普通の歩き方で追い越す瞬間に微妙に「申し訳ない」気がするのだ。

 私はその人の邪魔をしているわけでもないし、その人が助けを必要としているのでもない。二人の人間がそれぞれの速さで歩いているだけ。何をどうすることもできない。障害者ではなく、幼児や高齢者であれば気にならないのに。私はいったい何に気を遣っているのだろう。

 逆に考えた。
 私がKを連れて外出し、買い物などをしている時。その様子を見ていろいろな人がいろいろなことを感じているのだろう。

 気になる。でもじっと見たらいけないよね。ヘンなことしないかな?
 あれこれ気にしつつ、なんとなく遠巻きにチラ見しながらすれ違い、離れて行く。子どもは遠慮なく観察してくれるが、それは今更気になりません。積極的にちょっかい出してくる人もいないし。

 さりげなくすれ違っているようでも、きっと私達は周囲にさわさわと小さな波風を起こしている。でもほとんどの人は、それに気付かないような(?)そぶりをしてくれる。

 ああ、気を遣ってもらっているんだな、ということはわかる。本当に申し訳ないというかありがたい。自然にあれこれ手伝ってくれる店員さんや横断歩道で停車してくれる運転手さん・・・もう、後光がさして見えます。

 冒頭に書いた私が身体障害の方に会った時の戸惑いは、自分がさっさと歩いて通り過ぎていくことが健康を誇示しているように見えないか、という引け目のようなもの。Kに遭遇した人が感じる戸惑いは、それとは全く異質なものだということはわかる。それでも、それなりの別な方向へ何かしら気を遣う。

 足の不自由な人がもし自分の目の前で転びそうになったら絶対に支えてあげたい。
 Kを見てそのままスルーしてくれるのは、それと同じくらいの気遣いだと思う。 
 あ、単に関わり合いになりたくないという気持ちでも、充分な「思いやり」です。その嫌悪をこちらに向けずに無視してくれるから。

 私達が起こしている小さな波風を、そっと受け止めてくれている人々。外を歩くたびに感謝しています。 

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コメント(2件)

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杖をつきながらゆっくりと前を歩く人
に対する気持ち、まったく同じです。時間が許すことがほとんどなので、抜かさず行きます。
でも
私達が起こしている小さな波風を、そっと受け止めてくれている人々。

楽な気持ちは感じながらも、感謝する気持ちは生まれなかった。反省。
あの、楽な気持ちは、感謝の気持ち
なのですよね。
みま
2015/06/30 23:01
みま様
 外に出てあちこち歩き回るとこちらもかなり気疲れするのですが、まわりの人が自然にふるまってくれるから多少の余裕ができているように思います。そっとしておいてくれる、なによりそれがありがたいですよね。
tomoko
2015/07/01 12:02

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