障害児Kとおたく母の疾走日記

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zoom RSS 障害児と戦争

<<   作成日時 : 2010/08/13 20:17   >>

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 以下のリンク先記事をぜひ読んでいただきたいです。 

 もうひとつの学童疎開:光明学校の障害児たち/1
 
 1から4まであります。一部抜粋して引用します。

 転校した秋山さんが4年生になるころ、本土空襲が始まった。44年6月以降、政府は大都市の集団学童疎開を進めた。そこには次世代の戦力を確保しようとの狙いもあった。

 行政当局は各校の疎開先を探し、学童らは次々と地方へ向かったが、「戦力外」と考えられた障害児は対象から外された。


 以上、1 より引用。
 
 他校の教諭には「お国の役に立たない子たちを教育して、何になるのか。非国民だ」とまで言われた。松本校長は区や都に相談したが、相手にされない。

 以上、2 より引用。

 これは当時の身体障害の子供たちのお話です。他にも当時の障害児者について何か記録がないかと「障害者 疎開」で検索したところ、このような記事を見つけました。やはり一部を抜粋し引用します。


 戦後50年 戦争と障害者  はらみちを 

 ● 基調講演 はらみちを『ボクは軍国少年だった』

 ・・・・・男手はみんな兵隊にとられ、村は老人、婦女子だけが田圃で働いていました。忙しいとボヤきながら母も竹槍訓練にかり出されていました。障害児の世話のため出られないといえません。夜、こっそり、老母が大きな姐さん、知的障害者を散歩させていました。

 みちゃいかん、誰にもあの家に障害者がおるというちゃいかん。母はそういってました。国家に役立たないものは非国民と言われるので、1日中座敷牢に隠していたのです。
 
 ボクは人間魚雷なら乗れる、適材適所を得たら障害者だって戦力になると思ったけど、国家は飽くまで健常者以外は排除したのです。1億一心火の玉だーといいながらこれじゃおかしい、1億が平等じゃない。
 
● 第2部 シンポジウム『あのとき障害者は』

・62歳(元テーラー)身障者。

「私は東京の光明養護学校にいました。日本でも初めての各種学校です。当時東京では毎晩のように艦載機がとんできて辺りはまっ赤な火の海でした。その頃都会の学校では学童疎開が行われていたのですが、どこも障害児は受入れてくれません。そんなとき軍人がきて校長に青酸カリを渡しました。それで校長は必死になって疎開先を捜し回りやっと長野のホテルに行きました。その10日後東京大空襲に遭い学校は全焼したそうです」
 
 こうしてフォーラムは戦争が如何に障害者を斬り棄ててきたかを鮮やかにした。ひとことにいって邪魔だからである。

 ・・・満州脱出中、足手まといになるからと知的障害者を軍人が銃殺したのが今も忘れられないという。こんな話が山ほどある。生命の尊厳どころじゃない。 

(はらみちを 画家)
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(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1995年12月号(第15巻 通巻173号) 38頁〜41頁


 はらみちを氏は自らも身体障害者であり、やわらかくあたたかい絵を描かれる画家です。
 1995年、ということは15年も前に掲載された記事ですか。これはぜひ、今後も削除されることなく残ってほしい。できれば全文を、多くの人に読んでいただきたいです。

 これらの記事を見てあらためて考える。
 今はいい時代だ。待てよ、もしかしたらこれから徐々に・・・いや、でもまさかここまでの仕打ちは・・・・

 まさか、という事態が起こってしまうのが戦争なのだとしたら。その時私達は、この記事の中の先生達のように子供たちを守れるだろうか。

 役に立たない、イコール弱いもの、それは切り捨ててもよいもの。そんな主張に疑問を感じない時代になったら、最後まで生き残るのはどんな人達なのか。

 ぬるくてダメダメな時代であったしても、あの頃よりはずっといいのだろう。その事に、素直に感謝したいです。 

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
「お国のために」役に立たないと生きる価値がない、そんな時代でなくてよかったと心底思います。
ドイツでは「優秀なドイツ民族でない」という理由で障害者や同性愛者が収容所に集められ、殺されたそうです。日本やイタリアにも同じような施設を作ろうという計画があったけど、戦争が終盤になってきて、実現はしなかったそうです。以前、本で読みました。
そんな時代に障害児に関わっていた先生方には、ほんとに頭が下がります。
平和な時代に子育てできることに感謝したいです。
貴重な記事を紹介してくださり、ありがとうございました。
ハナ
2010/08/15 09:15
こんにちは!
いつも読ませていただいておりますが、コメントをするのは2回目です^^;

貴重な記事の紹介、ありがとうございました。
大地震の時に障害・者がどうなるかは何となく想像できるのですが、戦争は全く考えたことがありませんでした。

戦時中は全てが異常です。

非常時でも全ての人間が尊厳をもって
生きれるよう、声のない子の代わりに
思いを発していきていきたいです。
奈々子
2010/08/15 18:34
ハナ様
 >障害者や同性愛者が収容所に集められ、殺されたそうです
 そんなことが日本でも行われようとしていたのですか。本当に、なんでもありになってしまうのですね。優秀ではない、役に立たないという線引き次第でとんでもないことになりそうです。
 平和な時代はそれだけでありがたい、今は心からそう思います。
tomoko
2010/08/15 20:36
奈々子様
 私も災害時などについてはある程度想像もついたのですが、そういえば戦時中はどういうことになっていたのだろう、思っていました。ある意味想像どおりだったことが悲しかったです。
 子供の頃戦時中のさまざまな統制などについて聞いた時は、どうしてそんなことを、と違和感を持ちました。すべてが異常になってしまうのが戦争なのだとすれば、常識とか良識とかも変えられてしまうかもしれない。どんな世の中になったとしても、守るべきものは何なのか、しっかり判断できるようにしておきたいですね。
tomoko
2010/08/15 20:47
 いわゆる健常者であっても、戦時中は生き抜くのが困難だった。ならば障害者にとってはなおのこと・・・と思っておりましたが、やはりそういうことだったんですね。

 でも実を言うと私、今だって決して「平和な時代」だとは思っていないんです。砲火こそ交えませんが、国際社会で食料やエネルギーの資源をめぐって丁々発止の駆け引きがされていますから。国際金融の世界でも、よくまあいろんな手段で他国の金庫に侵攻してくるものだと・・・。

 それでもやはり今の時代のほうが、私のような人間にはラクに生きられる良い時代と言えるでしょうけれど。
ドロシネア
URL
2010/08/15 22:00
ドロシネア様
 自分の身辺がとりあえず平和なように見えるだけなのでしょうね。今この瞬間に、世界のどこかで貧困や戦争で命を落とす子供がいる。さまざまな紛争や問題がすぐ身近に迫ってこない保障などどこにもない。でも、今与えられた環境の中で自分に授かった子を精一杯守ってやろうと思います。
tomoko
2010/08/16 20:31
記事全文読ませていただきました。

ほんと、昔から考えると、足りない部分は多々あれど、特別支援学校も学級もある、障害児にとっては居場所があって、良い時代になったのだと思います。
主張ももちろん大事ですが、護られていること、それを勝ち取ってきてくれた先輩方に感謝もしないとですね。
ちえのすけ
2010/08/17 12:40
ちえのすけ様
 そうですね、勝ち取ってくれた先人がいるからこその今ですよね。ありがたいです。今度は私達が、再びそういう時代にしないように努力していかなければ、と思わずにいられません。
tomoko
2010/08/17 22:03

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