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ノブレスオブリージュという言葉を印象づけてくれたのは、「仮面ライダーカブト」だった。よいこ達に、必殺技と同時にこういうことも教えてくれるのが最近のヒーロー。 だいぶ前にどこかで読んだ「福祉の概念について」みたいな文章の中で、福祉というものはまずこのノブレスオブリージュ、「高貴な義務」から芽生えたと書かれていた。 身分の高い者、権力を持つ者はそれ相応の社会的責任を負い、公共の利益に尽くさねばならない。誇りある真の貴族達は領民を守り、貧しい人や病に苦しむ人への救済をすすんで行ったという。 逆に言えば、貴族は裕福であり自分の衣食住や娯楽を満たしてもなお余る富を持っていたからそれを「福祉」に使うことをためらわなかった。 オスカー・ワイルドの「幸福な王子」のように、自分の身を削ってでも貧しい人を救済したいという人は多くはない。あの王子様は裕福ではなくとも心が「高貴」だったのでしょう。高貴な心には余裕がある。 Kのような障害児者は、苦しいこともあるが現在それなりに「福祉」の恩恵を受けている。上を見ても下を見ても意味はない。恩恵を受けられること自体をありがたく感じています。 また、幸い他の家族はそれなりに健康だし、裕福ではないけれど食べるものも住むところもいきなり明日困るということはない。だから、歳末助け合いとかそういう関係の募金とかはできる範囲で協力しています。幸せとか運とかは、時々持っている分の一部を外に放って巡回させないと淀んで濁ってしまうよ、という話をずっと昔に聞いたから。 それに、大きなことは無理だけど、心、というか気持ちくらいは高貴、を気取りたい。コーヒー1杯分のお金で救われる命が世界のどこかにあるというなら、今日の一杯を我慢するくらいの気持ちの余裕は持ちたいと思っていた。 それを「偽善」というならば、それでもいい。偽善といえども善は善。Kの関係でいただくご好意もさまざまなものがあるが、どんなことでもありがたいのは事実なのだ。 でも、このご時勢。お母さん同士のおしゃべりでも、「夫の会社があぶないかも」とか心穏やかでいられない話題もでてくる。 物価高、経済不安。家計簿をつけているだけで、「なんか今までと違うぞ」ということはひしひしと感じます。 毎年振り込んでいる募金の額を減らしてしまいました。 その減らした額がなければ明日の生活に困るというわけでもない。 ああ、余裕がなくなってきたんだな。経済的に、というより気持ちに。 明日も、多分食事はできるし眠る場所もある。そう思えるから募金もするしお金も使う。でも、明日、というより未来もそうであると信じられなくなりかけている。 世の中の多くの人が多分こんな気持ちになっているのではないか。 自分の明日が見えない時に、弱者を思い遣る気持ちになるのは難しい。 福祉がいちばん先に切り離される、というのはよく考えれば当然のことなのかもしれません。 明日も生きていける、と信じられる。地味ではあっても、そんな社会を望みます。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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お父さんの給料が入らないことがある月があることにも(腹は立つけど) |
はるな 2008/12/01 10:58 |
はるな様 |
tomoko 2008/12/01 12:04 |
ユーリ・イシュタルを思い出しました。 |
アッキー 2008/12/08 04:22 |
アッキー様 |
tomoko 2008/12/08 13:09 |
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