障害児Kとおたく母の疾走日記

アクセスカウンタ

zoom RSS 悪い子は、誰。

<<   作成日時 : 2008/07/14 12:56   >>

トラックバック 0 / コメント 10

 昔、Kと同じ療育施設に通園していた子の保護者から聞いた忘れられない話。

 小さな子供を連れた若いお母さんが、その施設の通園バスを指差してこんな感じのことを言っていたそうだ。

 「お母さんのいうことを聞かない悪い子は、あのバスに乗せられて連れていかれちゃうんだよ。」

 今まさに我が子がそのバスに乗っている、目撃した保護者。あまりにストレートすぎて、抗議する気にもならなかったらしい。
 10年くらい前とはいえ、平成の世になってもそういう教育のやり方はまかりとおっていたのだな。

 身近に存在する、わかりやすい対象を「哀れな人」と認定する。それはたいてい、障害者であったり貧しい人々であったり、とにかく、「かわいそうな弱者」達。
 
 親のいうことをきかないと。
 一生懸命勉強しないと。

 あなたはああいう人達と同じになる。哀れまれる。そうなることは、いけないこと、恥ずかしいこと

 そんなことを囁かれた子供は、多分その教えを守って育つ。親のいうことを聞き、勉強もする。一生懸命努力する。哀れむべき人、にならないように

 でも、世の中には努力してもうまくいかないことがある
 頑張ったのにだめだったとか、事故や病気で重い障害を持つとか、努力して働いても貧しさから逃げられないとか。

 「あのバスに乗らないように」努力した子供は、もし自分がそんな境遇になった時どんなふうに思うだろう。
 あれほど「いけない」と言われていた場所にたどりついてしまった。そのショックは決して小さくないと思う。

 最悪、と思える状況に陥ったとしても、それは即絶望ではないし、恥ずかしいことでもない。誰にでもありうる状況であり、救われる方法は必ずある、と信じられる力はあるか。または、それを理解することができるか

 自分は努力したのに。悪い子じゃなかったのに。悪いのは、自分ではないはずだ。
 そんな絶望とか自暴自棄に身を委ねずに留まることはできるのだろうか。
 大きなお世話、かな。

 その時の子供は今、多分中学生くらいでしょう。
 今も、自分の母が哀れんでいた、いや蔑んでいた子供達と自分は全く別の世界の住人であると信じていられる環境にあるでしょうか。せめてそうであってほしいです。

 ずっと忘れていたのに、最近ふと考えてしまったことです。当時悔しいと思ったことへの絡み、っていうか言いがかりっぽいけどね。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちわ、障害児のオヤジです。
お気持ち、お察しいたします。人間というのはおかしなモノで、仲良くしたりお互いに納得するためには「自分たちにとって共通に異質な存在」が必要なことは、これまで歴史上何度も繰り返されたことであります。だからといって、それを是とするわけではありませんが、例えば障害を持つ人が周りにいなければよく分からないのも仕方のないことかもしれませんね。

一方で、我が子に接している近所の子ども達は、自分たちとは違っているとは分かっていても、異質な存在と排除するようなことはしないです。障害児を当たり前のこととして受け取っているのだと思います。

今は昔に比べて、障害を持つ方に接する機会が随分増えたのではないでしょうか。これからの世代はそういった

 哀れみ、蔑み

が少しづつ無くなり、当たり前に社会の一部と皆が認識してくれるようになればいいと思っています(甘いかな?)。
障害児のオヤジ
URL
2008/07/14 18:39
憤りが収まりません…
「チャレンジド=可哀相」!?
勝手にそげな図式ばあてはむんなつーの!!
実際にチャレンジドの方々と接してもそげな事の言えるとや!?
そう言いたくなります!!
こう言う話を聞くと、猛熊化する私です…
たかびごん
URL
2008/07/14 20:56
障害児のオヤジ様
 甘い、とは全然思いません。でも、それはなんというか、今の世界に国境が消えて全ての人類が武器を捨てて手を取り合う世の中、と同じくらいの期待値だろう、という気がします。でも、そういう社会を求めることをあきらめては絶対にいけない、と思っています。
 数学でいう双曲線、てやつですか、たどり着けないまでも限りなく近付いていくという意味で。人間って結構面倒で半端な生き物だな、と思いつつそれに納得できたのは障害のある子を授かったおかげかな、と思います。すみません、うまく言えなくて。今日、暑いし(笑)。
tomoko
2008/07/15 16:43
たかびごん様
 異端に違和感を感じること自体は誰も責めることができないと思うのですが、表現の方法ですね。もう少し穏便な言い方で、敵対視めいた表現でなければ「こういう人もいる」ということを子供たちに上手に教える教材にしていただくこともやぶさかではないのですが・・・残念ですね。
tomoko
2008/07/15 16:47
私も息子の障害がわかった時は「何故自分が」と思いましたし、実家の父も「神仏を粗末にしたことは無いのになんで孫に障害が」と嘆いていました。これからの子育ての苦労や孫への憐憫からだとしても、無意識の哀れみだったのかもしれません。いかに自分達が「そういう世界」とは無関係だと思っていたかがわかりますね〜。
しかし、立場の違う他人を引き合いに出して子供を教育するのはすごく失敗例だと思うのですが・・私だけでしょうか(^^;)。
もよこ
2008/07/15 17:47
もよこ様
 立場の違う他人をこういうやり方で引き合いに出していると、その立場の違いとはどんなことか、ということを子供に正しく教えることはできないと思うんですよね。人生いろいろ、油断すんな、でも絶望するな。折に触れ、教えたいですね。
tomoko
2008/07/16 12:21
いつもコメント欄も拝見しています。
tomokoさんの日記も皆様のコメントも、いつも私に色んなことを気づかせてもらっています。
糧だなあ、と思います。
ボウズ母
URL
2008/07/16 15:01
昔、同じようなシチュエーションの話を文章で読んだことがあります。確か、ゴミ収集の仕事をしている人の体験記でした。あるとき、「あんなおっちゃんになったらあかんで。」などということを子供に言い聞かせている親がいて、とても悔しい思いをしたそうです。
私はそれを読んだとき、まっとうにがんばっている人を蔑むような大人にはなりたくないと思ったものでした。
アッキー
2008/07/16 23:56
ボウズ母様
 恐縮、というかもったいないお言葉ありがとうございます。お互い、一度しかない人生でめったにできない経験をしていることを感慨深く受け止めて生活していきましょう。
tomoko
2008/07/17 15:25
アッキー様
 そういうことを言う人は多分、自宅のゴミの処理をやってもらえなくても全く困らないと言い切れる立場にいるのでしょう。そうでなければそんなことは言えるはずがない。
 人の価値を勝手に決める権利は誰にもないですよね。まっとうに頑張っている人を認めることができないなんて、悲しいです。
tomoko
2008/07/17 15:37

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
悪い子は、誰。 障害児Kとおたく母の疾走日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる