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昔、Kと同じ療育施設に通園していた子の保護者から聞いた忘れられない話。 小さな子供を連れた若いお母さんが、その施設の通園バスを指差してこんな感じのことを言っていたそうだ。 「お母さんのいうことを聞かない悪い子は、あのバスに乗せられて連れていかれちゃうんだよ。」 今まさに我が子がそのバスに乗っている、目撃した保護者。あまりにストレートすぎて、抗議する気にもならなかったらしい。 10年くらい前とはいえ、平成の世になってもそういう教育のやり方はまかりとおっていたのだな。 身近に存在する、わかりやすい対象を「哀れな人」と認定する。それはたいてい、障害者であったり貧しい人々であったり、とにかく、「かわいそうな弱者」達。 親のいうことをきかないと。 一生懸命勉強しないと。 あなたはああいう人達と同じになる。哀れまれる。そうなることは、いけないこと、恥ずかしいこと。 そんなことを囁かれた子供は、多分その教えを守って育つ。親のいうことを聞き、勉強もする。一生懸命努力する。哀れむべき人、にならないように。 でも、世の中には努力してもうまくいかないことがある。 頑張ったのにだめだったとか、事故や病気で重い障害を持つとか、努力して働いても貧しさから逃げられないとか。 「あのバスに乗らないように」努力した子供は、もし自分がそんな境遇になった時どんなふうに思うだろう。 あれほど「いけない」と言われていた場所にたどりついてしまった。そのショックは決して小さくないと思う。 最悪、と思える状況に陥ったとしても、それは即絶望ではないし、恥ずかしいことでもない。誰にでもありうる状況であり、救われる方法は必ずある、と信じられる力はあるか。または、それを理解することができるか。 自分は努力したのに。悪い子じゃなかったのに。悪いのは、自分ではないはずだ。 そんな絶望とか自暴自棄に身を委ねずに留まることはできるのだろうか。 大きなお世話、かな。 その時の子供は今、多分中学生くらいでしょう。 今も、自分の母が哀れんでいた、いや蔑んでいた子供達と自分は全く別の世界の住人であると信じていられる環境にあるでしょうか。せめてそうであってほしいです。 ずっと忘れていたのに、最近ふと考えてしまったことです。当時悔しいと思ったことへの絡み、っていうか言いがかりっぽいけどね。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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こんにちわ、障害児のオヤジです。 |
障害児のオヤジ URL 2008/07/14 18:39 |
憤りが収まりません… |
たかびごん URL 2008/07/14 20:56 |
障害児のオヤジ様 |
tomoko 2008/07/15 16:43 |
たかびごん様 |
tomoko 2008/07/15 16:47 |
私も息子の障害がわかった時は「何故自分が」と思いましたし、実家の父も「神仏を粗末にしたことは無いのになんで孫に障害が」と嘆いていました。これからの子育ての苦労や孫への憐憫からだとしても、無意識の哀れみだったのかもしれません。いかに自分達が「そういう世界」とは無関係だと思っていたかがわかりますね〜。 |
もよこ 2008/07/15 17:47 |
もよこ様 |
tomoko 2008/07/16 12:21 |
いつもコメント欄も拝見しています。 |
ボウズ母 URL 2008/07/16 15:01 |
昔、同じようなシチュエーションの話を文章で読んだことがあります。確か、ゴミ収集の仕事をしている人の体験記でした。あるとき、「あんなおっちゃんになったらあかんで。」などということを子供に言い聞かせている親がいて、とても悔しい思いをしたそうです。 |
アッキー 2008/07/16 23:56 |
ボウズ母様 |
tomoko 2008/07/17 15:25 |
アッキー様 |
tomoko 2008/07/17 15:37 |
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