障害児Kとおたく母の疾走日記

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zoom RSS 努力の転機

<<   作成日時 : 2007/11/21 12:28   >>

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 前回の続き。

 確かに、さまざまなこだわりも減り、Kは買い物、旅行、外食などに比較的連れ出しやすい子(重度知的障害のわりには、というレベルで)になりました。

 それを喜びつつ気付いたこと。

 そういうところは成長した。でも、肝心の身辺自立に関してはどうだ

 トイレ。着替え。箸の持ち方。そういう方面の成長は停滞してはいないか。

 そうだ。誇らしく思っていた過去の私の「努力」は、すべて保護者の都合にKを付き合わせるためのもの。私自身のストレス軽減のためだった。

 急いでいれば着替えはつい手伝ってしまう。
 ・食べこぼさない箸の持ち方を教える、ではなく食べこぼしてもいいようにエプロンやマットを使い、フォークを持たせてそれ以上のステップアップは望まなかった。
 ・前ボタンやベルト、ファスナーの上げ下ろしを教えるより、総ゴムのズボンを探し続けた。


 それらを教える努力の結果こそ、私ではない、彼自身にとって真に大切なことなのに

 いつか彼が親元を離れた時、着替えやトイレをいちいちぴったり張り付いて世話してもらえる環境にある可能性は限りなく低い。そんなことはわかっていたはず。

 小学校の高学年になった頃、やっと気付いて愕然とした。いや、怖くて気付かないふりをしていたのかもしれない。

 遅いかもしれないな、と思いつつ。

 しつけ箸を用意した。
 「自分で」と促す機会を増やした。
 ボタン、ファスナー、ベルトの扱いを、手を添えて覚えさせることを繰り返している。


 これらはすべて現在進行形。ここ2年くらいのお話。先は長いが、気付かない・努力しないよりはまし、と思える程度には結果を出せていると思う。

 ただ、昔の努力の頃よりちょっとだけやりがいがある。何かを教えた時、促した時の反応が幼児の頃より確実によくなっているから。
 
 だって、教えていないことに自発的に手を出し始めた。これは正直驚きました。
 我が子の力を全く信じていなかったのか、と言われても弁解はできません。

 親の思惑の外で、彼自身も成長したのだと思う。子供本人の、成長したいと望む力を信じろ、という、昔聞いた講演での言葉を思い出しました。

 でも、たくさん外に連れ出して刺激を与えたせいもあるわよね、とここでまた都合のいい自己弁護をしてしまう自己チューな母です。
 でも、これまでの努力だって決して無駄ではなかったということは確信しています

 食事中に箸を取り落とした。昔ならそのまま手掴みで食事を続けていたのに、今は箸を持ち直そうとする。
 そんな些細な、当然と思えることさえも「成長」のひとつ。それが「重度知的障害」ということ。でも、その些細な喜びを感じることができるようになった今を大切にしたいです.。 

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
いえいえ、tomokoさんの努力は正しかったと思いますよ〜。だってなにかに取り組むって、身辺自立も外出時のしつけもあれもこれも・・とは出来ないものじゃないですか?うちも手先が不器用です、それは小さいときから判っていましたが、苦手なことだらけなこどもたち、いくつもかけもちしては取り組めませんよ〜。うちも小さいときは外出と言葉かけを必死にやっていました。その効果は絶対あったと思っております。なにより家の中にずっといたのでは煮詰まってしまいますよね。これからお互い、ぼちぼち、ですよね〜。
ちえのすけ
2007/11/21 14:11
色々な努力もタイミングって必要ですよね。今このタイミングで始めたからこそ、上手くいくってことあると思います。
スプーンで食べ物を口に運んであげて、それを上手く噛んで食べることすらできないのに、スプーンを持たせる練習をした時に「あたし何やってんだろ?」って思いました。
この子には出来ない。とは思いたくない、でも、出来ない。
そういう事柄がたくさんあるけれど、そんな時に「今は出来ないけどいつかはきっと…」と思うようになりました。
色んな努力が全部実を結ぶとは限らないけれど、やって無駄になる努力なんてないですよね♪
リンコ
2007/11/21 16:02
 こちらの記事を読みながら、我が身を振り返っています。
 その時々に一番良いと思うことを必死になってしたものです。それはそれで良いことなのだと思います。
 地道に、少しずつでも前進して行くことを喜びながらガンバッテ下さいね。
yuurakusya&太郎ママ
URL
2007/11/21 16:06
>当然と思えることさえも「成長」のひとつ。
ほんとに。障害がない子の母はこんなことできるようになっても当たり前で、ここまで喜ぶことなんてないんだろうな、と思うことがよくあります。そしてまた、喜んだ次の瞬間にそう思ってしまう自分が情けないのですが…。
我が家も、座り方から食べ方からいちいち直させてます。言ってすぐできる子ではないから、現在まだ年齢的に許されても今から言わないと、と…。
ただそうすると、年齢相応に教えていけばいい下の子にもそれを要求することになってしまい、食事もね、なんか会話を楽しみながら、というよりは注意ばっかりなのよ。
「ママ怒ってばっかりかなー」と下の子にこぼしては慰められたりして…あうあー、なんかコメントというよりは愚痴になっちゃったっぽい^^;
でも、彼女自身に成果が現れてるなら、いろいろバランスをとりながらも努力はやめないでいよう、と思いました。
いつも考えさせられる記事ありがとです。
咲冬
2007/11/21 17:22
ちえのすけ様
 ぶっちゃけできないことが多すぎて、何から手をつけていいのやらわかりませんでした。また、これでいいのかと迷うこともしばしば。でも、経験や共感を増やしながら、できるだけ明るくぼちぼちといきたいですね。
tomoko
2007/11/22 12:52
リンコ様
 不思議なことに、「もしかしたらできるかもしれない」と思って教え始めたらできるようになった、ということは多いです。過大な期待はしないけどもしかしたら・・という希望はこれからも持って生きたいですね。ひと山越えるとまた次の山、だけど確実に進んでいるという手応えは必ずあると思います。
tomoko
2007/11/22 12:56
yuurakusya様
 後悔しても後戻りは難しいから、ついつい立ち止まって考えてしまいます。でも、その時々に必要と思える努力を重ねていくことは大切ですよね。
tomoko
2007/11/22 12:58
咲冬様
 私も、喜んだその次の瞬間に「なんでこんなことで大喜びしなきゃならないんだ」とふっと思います。そのたびに深いため息(笑)。食事だって、楽しく食べる雰囲気を壊さない程度の指導を、とはわかっていてもつい神経質になってしまったり。
 でも、「きれいに食べられるようになったね。と言われ、本人もちょっと得意そうな様子を見て「まあ、いいか」と思うことにしています。
tomoko
2007/11/22 13:02
身辺自立できなくても、生活しているよ。焦らずにね。
みゆきちゃん
URL
2007/11/24 08:16
みゆきちゃん様
 ありがとうございます。信頼できる介助者や理解者を増やすことも忘れないようにしたいですね。
tomoko
2007/11/24 12:10

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