障害児Kとおたく母の疾走日記

アクセスカウンタ

zoom RSS なんで12年

<<   作成日時 : 2017/12/07 13:56   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 12年前のちょうど今頃、私はこのブログを書き始めた。小学生だったKも、24歳だ。
 書いたからといって私達親子の状況が好転するということもない。それでも、なんとなくだらだらと続いている。何故だろう。

 「自分の考えや想いを誰かに伝えたい」「溜まっているものを吐き出したい」「共感がほしい」「意見を聞きたい」
 いろいろ思いつくが、多分その時々でいずれかが理由になっているのだと思う。

 で、その伝えたり吐き出したりしたものをどうしたいのか。
 
 アクセス数稼いでアフィリエイトとか、共感者を募って何か運動するとか、世論に訴えるとか、書籍化を狙うとか、理想の福祉政策を掲げて政界進出するとか(大爆笑)。

 ・・・・無理無理、ていうか考えたことすらないわ。
 
 障害児を育てている。それがどういうことか、どんな生活をしているか、どう悩んでいるか、どう考えているか。何かしら感じた時に文章にして自分の気持ちをまとめ、匿名でネットにあげる。読んでくれる人の多くは同じような立場にいて、検索等でたどりついたお父さんやお母さん(・・・らしい)。

 アクセス数が多いわけでもなく、それも幸いしてかコメントしてくださる方ともおしゃべりしているような感覚だ。
 静かに、ちょっとほろ苦い気持ちを共有しながら、「でも仕方ないよね。もう少し頑張ろうか。」という気持ちを共有することで癒される。

 「仕方ない」は諦めだ、逃げだ、という人もいる。でも、私達にとっての「諦め」とか「逃げ」っていうのは、多分そこじゃない。本当に「逃げる」にはかなり高いハードルを越える必要がある。

 辛いことや悲しいことはほぼ日常化している。既に「辛い」の感覚が麻痺していることもある。
 ならばそれを解消するために、福祉をさらに向上させて日々の生きにくさを減らすために、声を大きくしていくべきじゃないのか? ネットの隅っこで傷の舐め合いをすることに何の意味がある?

 それはそうかもしれないけれど。少なくとも私の(リアルな)周囲では「傷を舐め合ってくれる人がいてよかった。」と笑っている人が多い。意味がないわけでもないと思う。
 
 傷を癒し合うことで、本当に必要なことを行動する・訴える力になる、と信じたい。諦めてるわけでもない。「ボケ防止」を新たなモチベーションとしてこのブログももう少し続けたいです。


 先日「文豪ストレイドッグス」を読んでいたらこんなセリフがあって印象的だった。

 「俺みたいな弱い人間は何したって許される。 でなきゃ弱い人間に生まれた帳尻が合わないから」

 そんなこと言える時点で、この人本当は弱くないよね。 

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
なんで12年 障害児Kとおたく母の疾走日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる