障害児Kとおたく母の疾走日記

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zoom RSS 脱施設と現実の親心

<<   作成日時 : 2017/08/11 13:11   >>

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 「脱施設」という言葉が使われ始めたのはいつ頃だったか。今もそうだが、重度障害者の親達はずっと複雑な気持ちでこの言葉を聞いてきた。

 何をどうしようが完全な自立など夢のまた夢、という我が子はどうなるのだろう。

 完全な自立が無理なら、重度者向けのグループホーム(前の制度のケアホーム)?でも、この地域ではどの事業所も「実際に作るとなると難しい。かなり先の話になってしまう」という。
 親が作る・・・といっても、私達の世代が今から準備を始めたとして、自分の子の利用に間に合うのか?

 実際、そういうものを作ろうと頑張ってきたものの、親の体力と子の年齢が限界になり施設入所になったという話もちらほら聞く。
 
 限界、ってどこだろう。
 こんな記事を見た。

知的障害者 入所25年超4割 進む高齢、重度化(毎日新聞)

 25年、同じ場所で同じパターンの生活をしていることは幸せなのか不幸なのか。それは、その人や家族の個性や事情によるのだろう。

 ただ、私やその周辺の、「身辺自立も不完全で問題行動もあり」の障害者の親はよく話す。

 「親なき後でも、食べて寝て生きられる、その場所が確保されているだけで充分ありがたい。」

 そりゃもちろん、それだけでなく日々活動的に、自由に、充実した生活を送れるものならそうさせてやりたい。
 でも、その子を日常の中で無事に生き延びさせること、それだけのことがどれほど過酷な日々だったか。皆、嫌と言う程思い知らされてきたから。

 それでも、生きているならできるだけ楽しい時間を過ごしてほしい。さて、どうしたものやら・・・と今日もグダグダと語り合う。

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コメント(6件)

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生きることに理由なんか必要なく、生きるためだけに生きる、と障害児をもってはじめて感じました。
そう考えると、
「親なき後でも、食べて寝て生きられる、その場所が確保されているだけで充分ありがたい。」
本当にその通りで…。
だけど、我が子の『数少ない楽しいこと』を知ってしまうと、そういう楽しい経験をできる限りさせてあげたい…
と、どうしても思ってしまいます。
そんな親亡き後を実現するにはかなりのハードルがあり…(うちは入所ではなくグループホーム(ケアホーム)…
本当に作りたいです、ケアホーム。
みま
2017/08/11 14:42
みま様
 数少ない楽しいこと、それさえも不自由になるかもしれないなんて・・・と、やはり思います。生きることに理由も意味もない、重い障害を持つ子を育てるということで、それを思い知らされました。
tomoko
2017/08/12 20:44
こんにちは。ささやかな幸せを感じながら過ごして欲しいですものね。
うちの地域では、入所施設も新設は無理だけど、改修に乗じて定員数増やす動きも(笑)。親は老いて死に行き場のない人が溢れ、他県に頼ってばかりの現状に少し変化の兆しが。全然足らないけど。
そして入所施設からそこの運営の生活介護ではなく他事業所運営の生活介護に送迎バスで通所したり、日中活動と夜間の組合せに色々なパターンが出てきているようです。曜日により通所先を変えたりも。所詮集団生活だし、自由に充実した時間が送れる訳じゃないし、課題も色々あるようだけど、慣れ親しんだ毛色の違う居場所を複数持てると少しはいいのかも。知ってくれる人も増えるし。そして理想としては、日中活動が休みの日に行動援護が使えればいいのですがねぇ。
うちは「動く重心病棟」で基本的に病棟内での単調な生活ですが、それでも日中活動も意識しなさいという話もあり、少しずつ改善するかも? お楽しみが不調の原因になることもあるので、匙加減が難しいけど、長い目で期待しているところです。
ところん
2017/08/14 17:24
ところん様
 こちらの方では、定員減はあっても増はほとんどありません。他事業所の日中活動へ・・・というのも現実には難しそうです。入所すると移動支援は使えなくなるとのことで、なんだか八方塞がりですね。
 お楽しみが不調の原因、わかります。ありがちですよね。どんな生活が本人にとってベストなのか、もうずっと手探りをしています。 
tomoko
2017/08/15 20:29
とりあえず試してみて、合わなかったら他のところを…とできないのが辛いですよね。
施設勤務の知人によると、「受け入れ前は色々と課題が多く心配な人も、実際に入所すると馴染んで大きな問題なく生活できるし、どうにかなるものよ」だそうで、そんなもんなんだろうなぁとは我が子を見て思いながらも、「馴染む」のと「楽しく幸せ感」は違う気がするし、馴染んで大きな問題なく過ごせる事に感謝しつつも、そう簡単には割り切れない親心です。
求めているものは本当に小さな幸せ「小さな飴玉一つ、食べたい時に食べる」程度なんだけどなぁ。
ところん
2017/08/20 10:38
ところん様
 「馴染む」のと「楽しく幸せ感」は違う気がする・・・まさにそれです。選べる状態ではないから、馴染んで無難に過ごせる、そうなるだけで万々歳。でもできれば少しでいい、飴玉一つ分の幸福感を日々感じて生きてほしい。親の想いは揺れます。用意してあげられる幸せ、ってやはり限界があるような気がします。
tomoko
2017/08/20 15:44

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