障害児Kとおたく母の疾走日記

アクセスカウンタ

zoom RSS あわてないで

<<   作成日時 : 2011/05/13 14:31   >>

トラックバック 0 / コメント 8

 障害者レクリエーションに参加した時、この春お子さんが支援校に就学したという保護者に紹介された。

 子供の療育や福祉について、とにかく情報が欲しいのだという。講演会や見学会にはできる限り参加し、各種親の会の活動も見て回っているらしい。「それは何ですか」「どういうものですか」とたて続けに質問された。とにかく熱心、という印象だった。
 後で聞いたところ、お子さんの状態について他の家族はまだ受け入れる気持ちが整わない、でも何かしなくちゃ、という一心で行動している方なのだという。

 「気持ちはわかるけど、なんか突っ走りすぎる感じなんだよね。」その方をよく知る人が言った。わかる気がする。

 なんとかしなくちゃ、一刻もはやく。
 わからないことが多すぎる。私は、この子はどうなるの。

 そんな気持ちが突っ走る。自分も似たような心境の時があった。関連する本とかインターネットとかをやたらとほじくり返し、読み漁った。

 昔と違い、最近は育児書のコーナーにも障害関連書籍が増えた。不安にかられて手に取る人も多いのだろう。診断を受けた当事者の著書や聞き書きなどもあったり、ここ10年くらいの情報量の増え方に驚いている。

 「でもね、本やネットに頼りすぎるのもどうかと思う。」先輩お母さんや指導員さんの言葉。今も時々、言われるのは以下のような話。

 本に書かれているのは、その障害の概要かもしくは個人の育児・成育の記録。一般の人や障害についてまだよくわからない人が知識を得るには、わかりやすくていい。でも、ピンポイントで「うちの子」のための知識や対応方法を知りたい場合は必ずしもそうではないのだという。

 たとえば、高機能自閉の当事者の著書に「私はこう言われてこう感じた」とか「こういう場ではこういう気持ちになった」と書かれていたとする。それはあくまでその著者の感覚であって、「うちの子」のそれではない

 知的障害とか自閉傾向とか、その障害ならではの特徴はあってもその表出のしかたや細かな気持ちは、少しずつ違う。手帳の診断は同程度の同じ障害名でも、行動の特色はかなり違うということもある。
 本に書かれた一般的な対応とか個人の障害児育児ブログのお母さんのやり方が、「うちの子」にもドンピシャ有効かどうかはわからないのだ。

 だから、それらはあくまで参考に。一般論と一例、ヒントのようなものとして客観的に見ればいいとのこと。
 その上で、かかりつけの医師とか療育先の指導者、学校の先生、保護者仲間など、とにかく実際に「うちの子」を見てくれる人達の言葉を大切にしましょう、ということだ。既にスタンダード化している具体的な療育方法のあれこれだって、「うちの子」に合うものを専門家に指導してもらえばいい。

 「だって、専門書にはこう書かれていたんですよ」と言われても、「すべての子が専門書どおりのタイプ、というわけじゃないんです」と答えるしかないし、それでは納得しない保護者もいるらしい。難しいな。

 冒頭の保護者の方は少なくとも実際にいろいろな人と会っているらしいし、いずれ自分達なりの方向を見つけるのだろう。またどこかで会うかもしれない。

 突っ走り続けていると、疲れても止まり方がわからなくなったりいろいろなものをぶっちぎっちゃったりするんですよね。そんな時がありました。いや、まだたまにやらかしてるかな(笑)。
 知識、情報、行動力。バランスをとりながら動くには、まず落ち着いて、ということか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
お疲れ様です。
障害がある子の親って、子育ての手ごたえを感じ辛いと思うのです。
我が子に診断がつくかつかないかだった3歳前後の時期は、療育とリハビリのときだけ「子供のために何かやっている」という気持ちになれて少しだけ心が落ち着いていたのを今でも思い出します。
作ったごはんを食べてくれない、寝かしつけても眠ってくれない、一緒に出かけても嫌な思い出が増えるばかり…だった幼児期、とにかく「子供のために何かをしてあげている自分」を追い求めてもがいていたなぁ…と思い出します。
どうしても力が入りすぎてしまう時期、障害と真っ向から向き合う、戦う時期、というのが障害児母の最初にして最大の山だと障害児の母歴弱冠7年目ですが、思うのです。
あの必死で空回りしていた時期が、障害児親としてすごく大事なものに思われてきた今日この頃です。夫には今だに駄目出しされるし、もう絶対やりたくないですけどw
koma
2011/05/13 20:57
koma様
 実に手応えなかったです、幼児期。アタシ何無駄なことやってるのかしら、と虚しくならないようにあれこれ動いていたようなきもします。でも、その時期があったからこそ今わかることもたくさんあると思えますね。
 成長するにつれて、ここはもう諦めた方が、というところ(読み書きとか言葉とか)とここはきっちりさせなければ、というところのメリハリもわかってくるし。頑張れるところはもう少し頑張りたいですが、もうエネルギーがあまりない(笑)。
tomoko
2011/05/14 13:48
まあ・・・仕方ないじゃないかなと思います。
震災が起きて、米がスーパーから一気に消えたようなもので、何かしなきゃ大変だ、という気持ちで情報も欲しいし、何かも欲しくなるんでしょう。
後で振り返れば「あそこまですることなかった」ってのはたくさんあるけれど、それは経験して悟ったというか知ったんだから、それもまた仕方が無いかなあと。

でも、正直言って、親もある程度知識が無いと、支援者が何やってるか理解できなくて、ついていけないことがあるんですよね。
「はんか」とか「こうし」とか「あせすめんと」とか。そういう知らない言葉が出てくると余計に頑張らなきゃになっちゃったかな。2年もがっつり支援者講座受けまくって「もういいや」な人が私です。
ボウズ母
2011/05/15 15:33
ボウズ母様
 支援費制度はまだ分かり易かった。しかし次の自立支援法に移行する時、説明会の担当者も上っ面の説明しかしてくれない、資料はお役所用語、もう親同士でああじゃないこうじゃないと語り合ったのを思い出します。もっと前、長男3歳・次男1歳を文字通り両脇に抱えてあちこち駆けずり回った日々も、あれは本当に今の自分と同じ人だったのかと思えます。
 誰もが通る道、後でじっくり考える、最低限の知識を得るための期間。ふと立ち止まるタイミングは、きっとその人によって違うのでしょう。走り疲れた時に受け止めてくれる人や環境があったことをありがたく思っています。私もねー、なんであんなとこまで首突っ込んじゃったかな、と恥入る記憶がぽつぽつと・・・
tomoko
2011/05/15 20:45
判ります〜〜!!そのかたまさに昔の私!!
とにかく息子に良さそうなものは何でもやってみないと不安で不安で・・って時期がありました。

でも、本とか読んでも自分の子供に当てはまるところってほんと少ないのですよねえ・・・
うちは個別の療育にたどりつくのが早かったんで、そこでの助言が心の支えでした。

いま考えると無駄な動きや出費もありましたが(^^;)それも必要な情報を得るためには無駄じゃなかった・と信じたいです(^^;)やってみないと判らないですものね。

ちえのすけ
2011/05/16 20:09
当時、私には通う療育施設があって、情報もそれなりに手に入りました。行く場所もなく、必要な情報も手に入らず、孤独の中で子育てをしてきたずっと先輩のお母さん達の頑張りのおかげで、私には居場所があったんだと感謝しています。
今はより障害児を育てる環境が整いつつありますが、まだまだですよね。これから後に続く子ども達のために、今も声はあげ続けなきゃいけないと、当時を振り返るたびに思います。
我が子のことは・・・母が元気に楽しくやってれば、何とかなるさあ!みたいな?これもシャカリキな時代があったればこそですね〜(^o^)
まー
2011/05/17 11:18
ちえのすけ様
 個別の療育とか相談して頼れる相手とかにたどり着くまでが、焦りの時期ですかね、やはり。たどり着いて落ち着いてから、それまでかき集めた情報の価値がいろいろわかったような気がします。ほんと、やつてみないとわからない、でしたね。
tomoko
2011/05/17 12:59
まー様
 地域や環境によっては行き場を探し当てられないこともあり、子供は成長していくのに不安が消せず不安を抱えたまま、ということもあるようです。情報はある、でもたくさんあるから自分たちだけが取り残されたように感じてしまうのかもしれません。本当に、シャカリキな時代を経たから振り返れる、じっくり見られるものがたくさんありますね。
tomoko
2011/05/17 13:04

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
あわてないで 障害児Kとおたく母の疾走日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる