障害児Kとおたく母の疾走日記

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zoom RSS テレビの中の障害者 その2・・・NHK教育「きらっと改革委員会」 

<<   作成日時 : 2009/01/14 11:06   >>

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 「その1」の続き。

 論点@ テレビの描く障害者と本当の障害者の間にズレがある について。

 明るくて前向きで、強くて頑張りやさん。魅力的なその人の周囲には協力者がたくさんいる。ヘルパーや施設を上手に使い、障害に負けない充実した日々を送る。そんな人々ばかりがテレビに出て「頑張ってます!」と微笑む。

 でも、当然だけどそんな人ばかりはいない。明るい未来なんて信じることができないままじっとしている、という人はまずテレビには出ない。

 障害というのはハンデ。ゼロではなく、マイナス。だからそれをゼロに引き上げて「普通の生活」をするために障害者はいつも頑張っている。偉い。大変だ。・・・視聴者はそんなイメージを受け取っていく。

 ちょっと気になったこと。
 
 かわいそう、とか大変ね、と言われてもそれが日常なのでピンとこない。意識の違いを感じる、という障害者に対し、その後の「反響編」で紹介された意見が興味深かった。

 「ケガで短期間車椅子に乗った知人はとても大変そうだった。その生活をずっとしている人に対して大変ね、と思うなというのは無理」というもの。

 これは簡単。「思う」ことはあっても、相手がそれほど親しい人でないなら容易に言葉にしなければいい、と思いました。好意的な気持ちであったとしても受取り方は人それぞれ。それだけのことです。 

 自分はマイナス地点にいる、と考えている人ばかりではない。

 論点B 社会の問題よりも個人の頑張りを描いていないか?
 (論点Aについては長くなりそうなので後まわし。)


障害者の外出には、障害によって違いはあるがさまざまな困難がある。そして、その困難を乗り越えるべく努力や訓練をしている障害者とその家族が紹介される。

 でも、障害者自身の努力に焦点をあててそれを称えるより、その「困難」自体を排除することを提言するべきではないか、という意見が出た。 
 車椅子が通れない道をなくす。視覚・聴覚障害者用に点字パネルや案内板等を充実させる。それが先ではないか。

 頑張りを美化し、頑張らねばならない理由である「バリア」の存在をスルーしている。個人の問題として片付け、努力を求める。社会が努力すべきこともあるのでは、という話になっていく。
 
 明るく元気に努力している。幸せそうだ。
 じゃ、それでいいんじゃないの。

 視聴者の思考はそこでストップしてしまう。

 こういう感じの流れになった時はもう、寒気がしましたね。

 やはり障害は「自己責任」ということなのかな
 バリアを感じるというならそれぞれ努力と頑張りでなんとか乗り越えてね、個々の事情なんてわかんないし。
・・・・ということなのかな。 

 幸せそうに努力している部分しか見えないなら、そう思われても仕方ないのかもしれない。

 続きは多分来週になってから書きます。 

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
前回の記事と併せて読ませていただきました、
なんとも・・言葉にできないですね〜、文字にするには伝えたい内容が重くてうまく文章を打てません。結局私たちの子どもの存在意義ってなんなんでしょう・・?「生きていることに価値がある」それを信じていたいです。
ちえのすけ
2009/01/15 13:13
ちえのすけ様
 生きていることに価値がある。また、成長が難しい、成長しても生産や繁殖に貢献できない個体にも生存権を認める、それが人間だよね、と思うことにしています。そう思う以外どうしようもないですね。
tomoko
2009/01/16 12:34

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