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zoom RSS 「「千葉東金女児遺棄事件」について想う・・・・」について

<<   作成日時 : 2008/12/09 15:33   >>

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「千葉東金女児遺棄事件」について想う・・・・」について
 ちえのすけさん、私も同じようなことを考えていました。

 この容疑者の逮捕後の供述が少しずつ報道されるたびに、「ああ、それは多分その言葉どおりではない」ということが感じられる。

 言葉のある障害児者と長く交流のある人の多くは、多分同じような感覚を持って聞いていると思う。事実と想像、記憶、認知、そして反省、それらを統合して事実をしっかり語れるなら、療育手帳は交付されないだろう。

 取調べの場で話す言葉というのは、どんなことでも重要視される。ひと言ひと言が記録される。そのすべてが、後の裁判に使われる。
 だから不利なことは答えずとも良いという黙秘権も認められているし、普通の人は自分に有利になるように、ある程度同情も加えてもらえるように言葉を選ぶ。とても慎重に。

 「自分に不利になる虚言なんて言うわけがない」という常識は、発達障害とか知的障害の人にはあてはまらないことがままある。それ以前に、状況を把握してどんなことを言えば自分に有利になるか判断することが難しい人もいる。

 だから極端な話、彼の行動にもし同情できる点や「それは仕方ないな」という部分があったとしても、それが伝わらない。捜査する側の判定どおりの「同情の余地のない凶悪な犯罪」になる。
 起訴されて、それやこれやの事情を理解する人が法廷にいない場合、公判は維持されると思われます。 

 しかし普通に考えれば「許されない凶悪犯罪」以外の何者でもありません。ご遺族の嘆きを思えば同情など問題外です。

 しかし、許されないこと、重い事件だからこそ、公表できないことはしなくてもいい、可能な限りでいいから真実を明るみに出してほしい。同じような事件が二度と起こらないように。

 障害者だから仕方ない、大目に見て、という流れになるのもまた違うと思う。本人に責任能力がない、とされたとしても、私が保護者の立場になったら誠実に謝罪したい。
 実際、このところ取り上げられていますが有罪判決を受けて刑務所に服役している知的障害者も少なくないといいます。「障害を持っていれば何もお咎めが無い」というわけでは決してない

 障害者だったということで許してほしいのではない、それが犯罪とどう結びついているのかきちんと掘り下げていけば、保護者と社会の両方でそれを防ぐ対策をとれるのではないでしょうか。

 その時、どんな状況だったのか。どうしてそういうことになったのか。彼の障害を考慮して向かい合う取調べをじっくりと進めることで、彼は私達にもわかるように「本当のこと」を教えてくれるかもしれません。

 まず、難しいことかもしれないけれど、取調べの場に彼のことを客観的によく知る人(養護学校の先生など)に立ち会ってもらうことはできないのでしょうか。彼の言葉を「証拠」とするなら、そういう配慮が必要だと思います。 

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
トラックバックありがとうございました。自分も文章を書いて色々コメントいただきますが、今回は文章を書くにもコメントにレスを返すにも、重たく鈍い痛みが伴うような気持で書きました。
私がうまく書けなかったことまで書いてくださってるようで嬉しいです。tomokoさんの文章の語り口が好きです。いつも楽しみに見せていただいております♪今後とも宜しくお願いしますです〜。
ちえのすけ
2008/12/10 19:57
ちえのすけ様
 難しいですね。いろいろなことがあるけど、誰にとってもいちばん良い方法、なんて無いのでしょう。そんな中で、辛い思いをする人ができるだけいないように、という道を探すしかないのだと思います。悩みつつ、頑張りましょうね。
tomoko
2008/12/11 12:42

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