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以下は、夏休み中の某日に入力した文章です。 タイトルのとおり。午後8:30現在、Kはいない。 学校の宿泊学習とか修学旅行とかは、日常のKをよく知ってくれている先生方が大勢一緒にいてくれた。 夫が泊りがけで連れ出してくれたときだって、全然心配しなかった。 でも、今回は違う。 入所施設でたくさんの入所者に混じり、マンツーマンなんてとんでもない、という少人数の職員さんのお世話を受けて、「大勢の入所者のなかのひとり」として過ごすのだ。 夕方送っていって別れる時のやや不安そうな顔だけが印象に残ってしまった。日中ショートステイでは何度か過ごした場所だが、宿泊は初めて。 慣れない環境でとまどったり心細くなったりして、自傷行為をしていないか。夕食は食べられたか。今夜は眠れるだろうか。考えるとキリがない。 親は先に逝くものだし、脱施設が叫ばれてはいても、障害の重いKは施設入所も視野に入れている。しかし現実にそうなったとしたら。 これは、親にとっても「その時」の擬似体験、というか模擬訓練だ。 意外なのは、この気持ちが「心配」とか「不安」とかいうものとは明らかに違う、とわかること。 「不憫」「可哀そう」「私はひどいことをしているのかも」。 ・・・・これまで「それは絶対に違う」と理性できっぱり否定してきたはずの気持ちだ。 いろいろあって施設に入所させることは、それだけで非難されることでは決して無い、と考えていた。 頑張った末、力尽きて子供を入所させた人にそう言ったこともある。 それなのに、たったひと晩そこに預けたというだけで、私は心配というより罪悪感を感じている。 本当に、親というものはなってみないとわからないし、子供に対するさまざまなあれやこれやは理屈や常識ではなく経験しないと理解できないものだ。 今更そんなことをあらためて納得しています。 その後の顛末は、またちょっと間をおいて。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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はじめまして。 |
鉄主婦 2008/09/02 08:39 |
鉄主婦様 |
tomoko 2008/09/02 12:24 |
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