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Kは中三。障害「児」というのもやや苦しくなるお年頃だが障害「者」と呼ぶのもまだ馴染まない。 沈んだり浮いたり、どっちつかずの思春期。 小さい頃は、泣いても喚いてもまあ可愛かった。周囲の目にも、ちょっと泣き虫な子、くらいにしか映らなかっただろう。 泣いたり喚いたりが似合わないくらいに成長しても、障害「児」である小学生くらいだと、「大変ね」くらいの生ぬるい目があった。 そして、今。背丈も大人並になり、油断していると無精ヒゲが出てきたり、言葉にならない声もぐっと低くなってきたりする。ちょっとした特異な動作も、かなり目立つ。 もう、まわりも「見ちゃいけません」て感じですかね。でも、ひと目で「そういう人」だとわかっていただけるので保護者としては逆にありがたいです。あとは、迷惑をかけないように配慮するだけ。 昔、やはり障害児を育てているお母さんが施設見学などの時に 「自分の子もいずれこうなるとわかっているし、本当に申し訳ないんだけど、成人の重度の人が怖いの。次にどんな行動に出てくるか全く予測ができないから。」と言っていた。 それはわかる。実際、小さなきっかけでパニックになる人や予想外の行動に出て驚かせる人は少なくない。また、普段から自分の子でそういうことをいやというほど学んでいるから余計に警戒してしまう。 癒し系の愛される障害者、などという言葉を聞いた。親がいなくなっても周囲から可愛がられて、虐待される心配も少ないかもしれない。そういう人になってくれればいいな、とも思う。 そういう人が自分自身も癒されていて、幸せだ、と感じているのであれば、の話だ。 また、相手が従順でも可愛げがあっても、弱いというだけで攻撃したくなる人も世の中にはいる、ということは知っている。 周囲にも自分にも害を及ぼさない、つまりは自分の意思を伝えられる何らかの方法や判断力を育てていくことが大切、ということか。・・・どっちにしろ、簡単なことじゃないんだけどね。 「障害児」から「障害者」へ。単に子供から大人へ、ということとはずいぶんと違う。 「障害児者」というくくりを無理に当てはめることはない、そういうレッテルを貼ること自体が・・・とお叱りを受けそうですが、世間一般の認識であるとか福祉の助けを受けている立場とかを考えればそういう観念的なことはとりあえずパス。静かな生活ができること、それさえ許される世間ならばなんとでも呼んでくれ、と思う。 今日もまた、クッキー修行。焼きあがったものを皿にとっていると、「これ、ちょうだい」という仕草で近付いてくる。 その様子は、幼児の頃と全く変わらないのにな。 |
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ぱっそ子 URL 2008/06/11 14:52 |
そうなのよ〜。私も障害児って言う言葉には平気だったんだけど、障害者っていうネーミングには、抵抗感があります。なんか、怖い感じがします。私も昔は大きな男性の障害者が怖かった。そばにいるとドキドキしてました。でも、自分の子がそのドキドキさせる障害者になった今、少し慣れてきました。今はそんなに怖くなくなりました。それにそんなに危害を加えるような人が意外と少ないってわかったし。 |
キョン 2008/06/11 16:57 |
こんばんは。もう1つ1つ大きくうなずきながら、読んでしまいました。特に・・なんとでも呼んでくれ・・の一文が一番共感しました。どんな子でも、ある程度の年になれば、世間に出て行かなければなりません。子供の能力と成長をにらみつつ、どのようなかかわり方を目指すのか、常に考える日々です。「ちょうだい」や「もっと」は、うちも最近出来るようになり(中2ですが)うれしいかぎりです。次は、「いや」と「いたい」が出来れば・・・と、親の欲もさらに増し、おもわず苦笑いです。 |
みくに 2008/06/11 22:15 |
ぱっそ子様 |
tomoko 2008/06/12 13:45 |
キョン様 |
tomoko 2008/06/12 13:49 |
みくに様 |
tomoko 2008/06/12 13:53 |
これは本当に実感しますよね… |
たかびごん URL 2008/06/12 20:42 |
たかびごん様 |
tomoko 2008/06/13 12:33 |
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