障害児Kとおたく母の疾走日記

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zoom RSS 障害児は天使・・・だとしたら

<<   作成日時 : 2006/09/09 14:00   >>

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  テレビ雑誌の秋の新番組情報を見ていたら、草薙君が重度自閉症者を演じるドラマがちょっと紹介されていました。

 「純粋に生きることの尊さを・・・」「純粋な心のみで生きることの難しさ・・・」

 ・・・このあたりの記事でちょっと失望してしまった自分。「純粋」な心はいずこへ。

 「この子はね、天使なのよ。」 

 親自身が我が子をそうたとえるの聞くと、そのくらい慈しんでいるのね、と微笑ましいのですが。

 他人様に我が子をそう言われると、なんともいえない妙な気持ちになります。しかも、「励ましてあげる、元気だして」的なニュアンス丸見えな場合はさらに。

 単に容姿のみをさして言われるのならいいのですが、その子の存在意義に言及されている、と思われた場合
 
 「じゃあ、この子を差し上げます。私には荷が重い。」

 何度、そう答えたくなったことか。「選ばれた母」発言とともに、私にとっては素直に聞けない言葉のひとつです。

 天使、というものの定義も私にはよくわかりません。宗教的なもの、キューピットのようなもの、単に愛らしいもの、他。どんな概念の「天使」をさすのか、それによってもイメージは違う。

 しかし、単に「純粋、愛らしい」という意味だとしたら。

 少なくとも、その「純粋で愛らしいもの」への対応に苦しんでいる真っ最中の親にこの言葉を言うのは酷だと思います。

 うまく表現できないけれど。 「天使のように純粋な障害児」・・・親とそれ以外の人(受け取る側と発する側)の間では、この言葉の意味合いは天と地ほどに異なってしまうように思えます

 天使とまでいかずとも、育てているうちにいつしか自分にとってかけがえのない存在になっているということはある。でも、それまでにかかる年月は、親子によってかなり違うと思う。
 
 最近は言われないけれど、(ニキビ・ヒゲの天使ってのもね)今この言葉を言われたら私はこう答えたい。

 「いえ、この子は私が産んだ正真正銘の人間です。天使のように見えるとしたら、私がそのように育てたということですわ。」

 これくらいのゴーマンをかましてみたい。・・・まあ実際には言えないわけですが。それでもさすがに割り切れるようにはなったから、曖昧に笑って適当に答えています。

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dr.stoneflyの戯れ言
2006/09/10 17:55

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
 少なくともウチの障害児君は、普通の人の固定概念、価値観、常識…が、ないわけで…。つまりまっさらな人間、それが純粋に生きているというように思えるのではないかと思うのです。それは、本人にも周りの人もつらいです。純粋って言葉は綺麗に見えるけれど…実は、傷つきやすく辛い。 ドラマは、そんなところを表現したいんじゃないかな?そのドラマ、私も観ようと思います。
キョン
2006/09/09 17:42
障害者や障害者の家族に対しての励ましは、善意なのはちゃんと理解出来ますが、時として“重荷”になる事があります。
障害をあつかったドラマも時としては、見るだけでつらくなる時があります。
どうしても“第三者”の作り手の視線というのを感じるんですよね(−−)
いそ
2006/09/09 20:35
キョン様
 そういう意味で感じられる純粋さって、たしかに障害児のものですね。何の計算もできない、不器用にしか振舞えない。その結果、避けられてしまったりする。やっぱり悲しい。主演が草薙君なので、とりあえず私も見るつもりです。キムタクだったら見たくなかったかも。
tomoko
2006/09/10 13:19
いそ様
 先日の24時間テレビもそうなのだけれど、障害とかがテーマのドラマって作り手が先に受け手の感じ方を規定している感じが多い。そんなふうに感じる人ばかりじゃないのにな、って思うことはありますね。善意で世間の理解を促してくれるのはありがたいのですが、方向性がちょっと・・・みたいな。でも、とりあえず知ってもらえるだけでよしと思うことにしています。
tomoko
2006/09/10 13:24
私もそのドラマ観てみようと思ってます。
先日コミュニケーション障害関係の学習会に行き、ちらっとその話が出てました。 ちゃんとドラマの指導医師がおられる様ですよ。
私もtomokoさんの「選ばれた母」に対する意見と同じ感情を持っている一人です。
その様な詩があるじゃないですか! 障害を告知する時
療育機関のパンフレットと共に、その詩を手渡され
戸惑いと嫌悪感を抱きその医療機関に行くのを止めた位です。 神様が居るのなら、子供に辛い障害なんて授けるないで欲しいですよね!
「天使」扱いも、そう言えばそうですね。 日常生活の中では、時に悪魔の方ですわ。。
寝ている時は、どの子も天使ですけどねっ。
miku
2006/09/11 02:08
miku様
 神様というのは人の全ての人の幸せを願っているのではなく、世の中のいろいろな帳尻を合わせつつ、ちょっとイタズラもしてみる、みたいな存在に思えます。神様ではなく、子供本人に選ばれたというなら仕方ないな、と考えることもあります。
 そう、寝ている時は、まさに天使なんですけどねえ。
tomoko
2006/09/11 11:50
すみません、またしても記事と関係のないTBを送ってしまいました。

ここのとこ何度もコメントをしようとしましたが、できませんでした。健常者で差別者である自分が分かっているからです。本当は、自分を健常者で差別者と考えてしまうというのも、ウソのような気がします。障害者のことは、何を考えても自分のなかで白々しく思えます。ワタシは障害児(者)やその家族に会うと、何も言葉がでてきません。言葉を失います。何を言っていいのか……、何を言っても「ウソ」のような気がしてしまいます。またそんな自分が誰かにバレるのを、恐れているのかもしれません。

「存在意義」…自分の存在意義さえわかりません。ただ存在しているだけのような気がします。

このブログは、そんなワタシに何かヒントを与えてくれている気がします。
今後とも宜しくお願いします。
dr.stonefly
2006/09/11 13:08
dr.stonefly様
 トラバについては、エロ・営利目的・デンパ系以外はそれほど厳密に選んではいませんので、これからもご遠慮なく。 
 たいていの人は、いろいろな他者に対して何らかの差別感情があるのではないでしょうか。性別、貧富、人種など。気付いていないこともあるかもしれません。
 悪意のある差別もあれば、自分でもコントロールできない差別もあると思います。生理的にちょっと、とか。
 また、立場の違う相手を思いやることはできても、その全てをわかるのは無理だと思います。そこで、言葉を交わす必要がある。
 様々な人がいるから、私達は外に出るときどんなスタンスをとればいいのか迷います。どうすれば、お互いに気持ちよくすれ違うことができるのか。
 お互いの、方向違いの差別心に折り合いをつけていければ充分なのでは。うまくいえなくて、すみません。 
tomoko
2006/09/11 14:02
うんうん、分かります〜。私も同じ気持ちです。「純粋であること」「自分に正直であること」って、一見美談だけれど、関わっている人たちにすれば大変なんですよね・・・うちのトッキーは正直すぎて「なんであの人あんなに太っているの?」など大声でしゃべってしまって慌てることがあります(^^;)
ちえのすけ
2006/09/11 15:08
ちえのすけ様
 まさにそれ。関わっている方にしたら、「かわいい天使ちゃん♪」なんていってられません。正直で純粋なのはいいのですが、今の世の中、それが通用しにくいですからね。
tomoko
2006/09/12 12:12

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