障害児Kとおたく母の疾走日記

アクセスカウンタ

zoom RSS 悲しい「障害者間差別」

<<   作成日時 : 2006/06/14 13:21   >>

トラックバック 0 / コメント 27

 昔、やはり障害児を持つ親が育児雑誌に投稿した文章の中にこんな意味の記述がありました。うろおぼえですが。

 「障害の中に差なんてあるのだろうか。障害って、あるかないかの違いなのではないか」

以前、知り合いの知的障害児の母が障害者の親の集まりに参加した時。身体のみの障害を持つ子の親から

 うちの子を、「『知的』の子と一緒にしないでください」

 と言われたという話を聞きました。

障害者の間でも差別はある、ということは、悲しいけれど事実だと感じます。そして、多分その最下層が「知的障害者」だということも。

 特に、知的にも最重度障害児の親の思いは複雑です。私もまた、療育などで会う我が子と同程度の重さに見える障害児を、無意識に、しかしすばやくKと比べてしまう。

 言葉はあるのか。
 トイレは失敗しないのか
 親の指示がわかるのか
 どのくらいの遊びができるのか

 
 比べること自体が下衆なことなのはわかっています。比べてしまった後で、そんな自分に鳥肌がたつくらい嫌悪を感じます。けれど、一瞬そうせずにはいられない。そう、こちらにも隙あらば差別したい(こちらが上位と思いたい)という気持ちがある証拠です。

「あの子より、うちの子がまだまし。」そう思うことで、がんじがらめに縛られた縄がちょっとゆるくなることがある。それ以外にゆるめ方がわからないこともある。

 だから、私はその会議で発言した身体障害児の親を責める気にはなれません。

 たまに考えます。差別という言葉はよくきくけれどごく平凡で障害者とあまり関わっていない人達は、差別と言う気持ちはかえってもちにくいのではないか。

 普通の人にとって障害者は、差別なんてする理由などない、いろいろな意味で自分達とは別世界の人だから。ちょっとした手助けや募金もするけど、気味が悪いと思えば近づかないまで。(これを差別とはいえないと思う)

 思えば、Kと過ごした十余年、他人から直接嫌な思いをさせられたことはそれほど多くありません。たとえうわべの言葉だけだったとしても、誰もがそこそこ優しかった。

 私も、他人と比較しなくても縄をゆるめる方法がやっと最近わかってきたような気がします。もっとも、Kより重いと思われる障害児にはめったに会えなかったから(笑)、私たちはむしろ周囲の親子を癒していたのかもしれません。今は、そのことにかえって安心しています。
 
さて、憂さ晴らしみたいなひとりごとをここでブツブツ吐き出し始めてから、気が付けば半年が経っています。

 自分のこと、子供のこと、普段つい考えてしまうこと。文章にして整理することで自分の立ち位置を再確認しています。

 また、いろいろな方からコメントをいただくことで、考え方の多様性、角度を変えた見方、同じような立場の方の意見などを知り、感動しています。

 他人様から見ればどうでもいいようなオタ話まで、聞いてくれた人がいることが嬉しい。ちょっとでも、時々でも付き合ってくださった方々、ありがとうございます。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(27件)

内 容 ニックネーム/日時
障害者の中の差別。

私は、身体障害のみの方を『普通の人』と呼びます。健常者ではないけど、普通の人なので・・・これも差別かな?
知的障害の中では、重複などの本当にかなり重度の方の場合、親御さんは構えているような気がします。
うちの子は、解かるんだとか仕事が出来るんだとか言われます。自分の子が一番出来ないとは思いたくないからでしょうか?そんな所で背比べをしてもしょうがないのに・・・
私は、1人で生きる力の無い子は、みんな一緒だと思っているのですが、なかなかそうはいかないところもありますね。
ソラ
2006/06/14 15:13
お互いに、良い意味で助け合うべき『同士』だと思っていましたが、私の認識不足なのか驚いています!同じ障害を持っていればお互いの苦労も分りあえるはずと思うのは間違いなのでしょうか?なんだか寂しい話ですね。
ちいこ
2006/06/14 16:42
私も小学校のときにはなんとなくそんな空気を感じてました。うちの子は養護へ1年行ったあと小学校に転入しました。他のお母さんにとっては友達が増えたというより、ただでさえ少ない先生に厄介者が増える、つまり自分の子がおろそかにされるという警戒心があったようです。私はなるべく先生の負担にならないよう、毎日学校に行って私ができるだけのことはしました。それがわかってもらえたと思っています。
車椅子に乗っていたり、ダウン症のように見た目ですぐ障害とわかってもらえる方がかえって楽だなとか思ってしまうこともあります。その親御さんたちには私とは違う苦労がいっぱいあるずなのに勝手なものですね。
差別ではなく、お互いが足りないところを補いあえる関係になれないものかと、理想ではそんなことを思ってしまいます。

2006/06/14 18:46
「障害児の母」というキーワードでヒットしてきた貴ブログでした。斬新な切り口と胸のすくような文体に鳥肌のたつ快感!を覚えました。そうです。私も「障害児の母」です。
1級だろうが7級だろうが、A1だろうがF1だろうが、対象外だろうが、「普通」でなかったことで、「障害児の親」はみんな一緒ですよね。
じゃあ普通って、何ですか?障害児は普通じゃないんですか?なんて、言われても困るんです。普通じゃないです。やっぱり。
自分の意思で人生を選択できないのは、普通じゃないですよね。。。

あれこれと、言葉のいたずらのようなチチクリアイの多いこの世界ですが、どうぞこれからも続けてくださいね。楽しみに読ませていただきます。
ままぼろん
2006/06/14 18:48
先日ちょっとビクッとした事がありました。
私の子同様友人の子も軽度知的障害のボーダー辺りです。
最近子どもが言語の発達時期なのが、大分お話ができる
様になってきたのですが、そうなると時々微妙な空気が
流れるようになってきました。
私が我が子にこうなって欲しいなあというと欲張りだと
言われたり・・・。
療育仲間は仲間ではないととある人に言われた事が今、
思い出されます。
ですが、彼女を責める気もありません。私自身がおいて
いかれることにものすごい恐怖感を持っているから。
彼女のお子さんは言葉は少ないですが、首の動きや表情で
意思表示が出来ます。
誰より怯えているのはきっと私なんです。

まゆもも
2006/06/14 19:37
こんばんわー。
障害問題だけじゃなくて女としても、お金、人生でも
上を見て、羨ましかったり妬んだり、
下を見て、優越感に浸ったり同情してみたり。
はぅ!これ以上の自己嫌悪はありませんね(笑)
反省しますー。

tomokoさんのブログはとっても面白いです。
こなきじじいハウスにはパソコンの前でぶっ飛びました。
これからも応援してますー!


2006/06/14 20:48
 「差別」というより「親のドロドロした気持ち」と置き換えると、それは障害の程度の似ている同士の中にこそあるのでは、と感じています。
 K様vの現状を知りもしないで書くのも何なのですが、「身体」と「知的」、「重度」と「軽度」の間ではお互いに大変と思う論点が異なる故の行き違いが多く、本気のドロドロには至らないのでは、と。さらに言えば、一番タチが悪いのは「軽度」同士かな、とも思ったり(~_~;)
 と書いてふと上を見て涼さんの「女としても、お金、人生でも」に納得!所詮人間なんてそんなもんよね。
おこみか
URL
2006/06/15 00:26
分かります〜。その気持ち。私の大好きな本、「あたまをラクにこころをクリアに」にも、同じような親の思いが綴られていました。「うちの子より重度な子を探してしまいます・・」「優越感にひたってみたい」などなど。きれいごとじゃなく、人間ですから、本音の部分で、障害あるなしにかかわらず、そういった気持ちは誰にでも必ずあるのではないでしょうか・・。
通園施設でも、似たようなこと、ありましたもの。障害の程度に応じて親グループができたり、幼稚園が決まったお子さんのママがなんとなく回りから避けられたり・・人間ですから、本音の部分では、いろいろ、ありますよね〜。
ちえのすけ
2006/06/15 09:04
世の中には色々な『差別問題』と言われる物があります。
自分たちと異なる異分子を排除したい、自分たちがいつまでも優位な立場で居たい、又は他者に対する特権意識、自分たちの置かれた立場への自己防御、理解不能なものへの恐怖等、理由は様々でしょうが、実際のところ、これらの問題は決して無くなりはしないので何時までも『問題』なのです。
どの世界、どの地域、又は小さな集まりでも人間が集まれば自然と差別は生まれてくるものなのでしょう。『自分は(誰をも)差別などはしない』と言い切れる人の方が少数派なのでは。他人を排除することによって自分の居場所(心の領域も含む)を守ったりすることはむしろ自然なのかもしれません。
sprigun
2006/06/15 17:14
別世界の人間だからとか、普段かかわりがないから、普通の人(あえてこの言葉を使います)にとって障害者は差別する対象になりにくいのではないか。というのは誤りです。
かかわりがないから『無関心に見える』だけです。
対象が明らかに自分より何かが劣っていたり、欠けていたりするだけで差別する理由など山ほどあります。ましてや本気で自腹を切って、時間を割いて助けようなどとは思わないでしょう。
相手が障害者だろうが何だろうが、人は人を差別します。
その事に関してどう思うかは勝手ですが『話せばみんな、お互い分かり合える』とは思いません。
皆がそうだとは言いませんが、想像力がないから他人の『気持ち』を、『立場』を、『想像できない』のです。又は対象に興味がないので想像しないだけかもしれません。
sprigun
2006/06/15 17:15
そうそう、あるよね〜そういうの。ウチの息子はとても重度で多動なので、どうしても先生1人を独占せざるを得ない。すると静かな落ち着いたお子さんは、1人残されるか先生1人に2〜3人見るという場合が増えます。いつだったか、そのお母さんから『先生1人とれるキョンさんの息子さんがうらやましい。』と言われました。(^_^;)…で、しかたなく…「ごめんね〜。良いでしょう?ウチの息子は超重度で運が良いや。」って言っちゃった。あはは〜(^^ゞ心が狭い私でした〜。(^^ゞ
キョン
2006/06/15 17:38
ソラ様
 構えてしまっている親御さん、いますよね。また、構えてしまう時期もあるのかもしれない。「でも、うちの子は〜ができますから」と言われても、どう答えていいのかわからなくなります。自分の子が上から見下ろされる存在だとは思いたくない、という気持ちはわかるのですが・・・なんともいえませんね。
tomoko
2006/06/15 21:26
ちいこ様
 「障害者の親」である前に、誰もがまず「我が子の親(変な表現ですが)」なのでしょうね。自分の子がいちばん可愛いのです。でも、協力しなければいけない部分では手を取り合いたいと思います。
tomoko
2006/06/15 21:31
楓様
 身体とか軽度とか重度とかに便宜上分けられていても、それぞれに違う苦労があることは十分わかっているつもりなのに、他の子を見て「うらやましいな」などと思うことが私もあります。後で親同士の会話から、お互いにないものねだりでそう思っていたことを知り、笑ってしまうこともよくあります。これからは障害の種類を越えて、声を揃えて福祉に訴えなければいけない時代になるかも、ということを考えていかなければいけませんね。
tomoko
2006/06/15 21:41
ままぼろん様
 はじめまして。本当に、「普通」ってなんだろうとはよく考えますが、少なくともうちの子は「普通」ではないよな、ということはよくわかります(笑)。でも、もう少しで「普通」になれそうに見える子とか、知的にはそのへんの健常児よりはるかにすぐれている身体障害児の親は複雑な思いがあるのでしょうね。自分の意志で人生を選択する、たったそれだけの「普通」のことができるというのは、幸せなんだなとつくづく思います。
 どうでもいい話を含めて、まだ呟きたいこともいろいろあるので、お暇なときにはお付き合いください。 
tomoko
2006/06/15 21:56
まゆもも様
 お子さんが小さいうちは、これからどう伸びていくかがわからないだけに「療育仲間」の間の空気の変化は微妙らしいですね。また、言葉は喋るけれど意志の疎通が難しい子もいれば、言葉を使わずとも自己主張をしっかりしている子もいる。何ができるから優れている、という基準がわからないから、不安になりますよね。「うちはうち、よそはよそ、この子に必要なことをしてやるだけよ。」知人からそういわれて、私はちょっと楽になりました。
tomoko
2006/06/15 22:05
涼様
 本当に、上を見てため息、その後に下を見て安心、というのが人間なのかもしれません。下を見て安心している自分を見て、さらに安心している「上の人」がいるんだよな、と思うとちょっとおもしろいです。
 ゲゲゲシリーズには、まだ続きがあります。お楽しみに。
tomoko
2006/06/15 22:10
おこみか様
 確かに、障害の程度や内容が似ている方が比べる対象になりやすいと思います。「うちの子は本当に大変」と愚痴ったら同じような子の親に「うん、○○ちゃんは大変だよね」と言われ、ちょっとむっとした、という話も聞きました。ありがちなことなのですね。
tomoko
2006/06/15 22:17
ちえのすけ様
 あ、その本は買ったのですがまだ読んでいません。はやく読まなくちゃ。
 障害のある子供達のために、といってもやはりいちばん可愛いのは自分の子ですからね。健常児だとしても、他の子より勉強ができる子であってほしいと思うわけだし。そんな気持ちをとりあえず自分のなかで割り切って消化しつつ、いろいろな人とうまく交流したいです。
tomoko
2006/06/15 22:25
sprigun様
 集合体あるところ、その中で差別はある。これは事実だと思います。その対象は障害の有無だけではない、容姿とか貧富とか人種とか、理にかなっているか否かにかかわらず、とりあえず差別の材料はたくさんあります。ただ、一般的な「普通の人」の中には「障害者を蔑む行為をすれば、社会常識で考えれば自分が軽蔑される」という意識が多少なりともあるでしょう。だから、無関心という形になる。決して話して分かり合えたからではないでしょうね。正確には、「差別対象にならない」のではなく「あからさまに差別しずらい」ということでしょうか。それでもいいです。侮辱や虐待の対象にならないだけで十分です。
 でも、自腹を切って時間を割き、私達の為に涙し、奔走してくれる人達は実在します。少なからず。これだけは、知っていただきたいです。
tomoko
2006/06/15 22:50
キョン様
 「うちの子は、ひと目でわかる重度でよかったのかも」と思うことは確かによくあります。かえって、下を探すより、そう思う方が気持ちが安定するのかもしれません。人の手を借りて生きなければならないのなら、「これは手を貸してやらねば」と思ってもらえた方がいいのかな、なんてね。
tomoko
2006/06/15 22:55
確かにあります、軽度の辛さ。見た目にはごく普通。でも実際できないことは一杯。最初の通所の施設では軽度だからとあっという間に切り捨てられてしまった。他のお母さんたちは何も反応無し。
「別に重度だろうが、軽度だろうが、障害の有無には関係なく、自分の子供が一番かわいい。」きっとこれが根底にあるのかなと思います。だから自分の子を低く見るのは嫌だから、自分の子よりも重度の子を探して、家の子はこれができるって、思いたいのかなってしみじみ考えてしまいました。そうでないと母親自身の精神安定が図れないのかもしれません。
チハル
2006/06/16 01:14
tomoko様、失礼致しました。私の言い方が悪かったです。
確かに『私達の為に涙し、奔走してくれる人達』というのは実際にいらっしゃいますね。
私は先のコメントでネガティブな部分だけを強調いたしましたが、それと同じくらい誰かの為に(対象が何であれ)無条件で何らかの形で奉仕するという気持ちを持っていらっしゃる方もいますね。仰る通りです。
sprigun
2006/06/16 07:32
こんにちわ。
 私は接してる障害者が弟だけなものですから、他の方とはあまり話をする機会がありません。母づてで話を聞く程度です。
障害者であろうとなかろうと、集団になると、どうしても差別とかありますよね。でもそれは人間である以上しかたないのではないかと思います。
 銀河英雄伝って小説があるんですが、その中に「最強の呪文は『それがどうした』だ」ってセリフがあるんです(うろ覚えですが)。
母は、私を他人、妹などと比較することが昔からあったんですが、けっこうこの呪文、役立ちますよ(笑)。
私がその呪文を言われる立場にならないように気をつけなくては。
Shin
2006/06/16 11:35
チハル様
 自分より明らかに大変な子を育てている人を見ると、「この子よりはうちの子の方が・・」と思えて安心(?)すると同時に、「ということは、この人は私よりずっと苦労や努力をしているのだ」と気付きます。そこからちょっと自己嫌悪、というか、比べたことに対して申し訳ない気持ちになります。他人と比べることで得られる精神の安定は、なんとなく後味が悪いのです。比べてしまうこと自体は仕方ないかな、と思うのですがね。
 みんな違ってみんな大変、よそはよそ、うちはうち。こう思い直してやっとすっきりしています。
tomoko
2006/06/16 12:30
sprigun様
 わかっていただけて嬉しいです。そういう人達の存在こそが、「我が子もこの社会で生きていけるかもしれない」という希望の源です。世の中、捨てたもんじゃないですよね。
tomoko
2006/06/16 12:34
Shin様
 銀英伝てまだ続いているのですか。知人が好きだった作品です。
 「それがどうした」まさに最強の呪文ですね。本当に、「どうにもならない」としか言えないことの方が多い。「なら、どうしろと?」・・・心のブロッキングに有効な言葉は、ひっそり唱えるだけでも精神安定剤になりますね。お守りとして、おぼえておきます。
tomoko
2006/06/16 12:43

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
悲しい「障害者間差別」 障害児Kとおたく母の疾走日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる